日記

毎日を記録してみようと思いました。

make-up

最近、スケラッコの大きい犬という漫画を買った。外についている表紙カバーを外した、本本体の匂いが好きだ。これはなんていう種類の紙なんだろうか、知らないが。茶色の、乾いた匂いがする。某店の初月無料のサービスのおかげで漫画が読み放題だった。そのとき出合った本だ。

わたしは今まで漫画を一冊も買ったことがなかった。家にあるのはもっぱら本だ。漫画は下等な書物だという認識がどこかにあった。でもそんなことはない。漫画も立派な表現物だと再認識してる。

漫画は新書サイズ(というのかな?)からでないと嫌だ。小さいサイズのは、文字も絵も小さくて目に良くないと思ってるので読みたくなくなる。絵は、シャッシャッシャッと何度も重ね書きしてるような線は嫌いだ。一本線ずつで、あっさり書かれてるものが好き。スケラッコさん然り、『岡崎に捧ぐ』の山本さほさんや、『マスタード・チョコレート』の冬川智子さんの絵などだ。特に『王様ランキング』の十日草輔さんの絵はとても興味深かった。

 

なぜ母を嫌いなのかと聞かれたら多分、自分が嫌いだからと答えると思う。神様を信じる人たちがいるけれど、多分わたしは虚無を信じている。どうしようもない虚無感だ。誰かが言ったところの、漠然とした不安だ。

いつのまにか私は自分の存在意義などというものを考えるようになったが、自分が存在しないような感覚がいちばん心地いいものなのかもしれない。わたし、は他者と自分とを区別するためだけの指示語で、それ以下でもそれ以上でもなくて。そこには、わたし、と言う精神性をも含めた肉体があるだけ、というか。

まだ全部を真正面から体得はできないが、変化なんてものは大きければ大きいほどある程度のゆっくりさが必要だ。少しずつ経験の中でわかっていこう。多分この手のものは頭で理解するものじゃない。いつか気にならなくなるような、いつか消えてなくなってしまう青たんのようなものだ。きっといつか治ってくれる。